無職の分際で言いたい放題

自称セミリタイアの40代無職引きこもり独身男が言いたい放題

大阪都構想投票がもたらすもの

今日は大阪都構想の投票日。

私は大阪市民ではないので投票しませんし、直接的にはどっちが勝っても影響ありません。関西に住んでいる限りは大阪の浮沈の影響を受けるので全く影響がないとも言いませんが、大阪市民が決めることなので外野として見守るだけです。

この投票がもたらすもの

それは、現状維持にも選んだ責任が生じるということ。

日本では現状維持を選ぶことに責任を負うことが少ない社会です。何かを変えようとすると「それで何かあったら誰が責任取るんだ?」と声をあげれば現状維持がしやすい。ピーター・タスカ著『JAPAN2020 不機嫌な時代』における「再配分同盟」つまり既得権益層にとっては非常に便利なセリフです。

現状、大阪は他の大都市と較べて人口減少率が一番高く、このままでは衰退すると思ってもいいでしょう。ゆっくりと衰退していった時に「あの時変革をしていれば」とタラレバを言われることになります。

もちろん変革はギャンブルですから失敗した時には「現状維持にしておけば」とタラレバを言われます。つまりどちらを選んだとしても、その行く末は注目され結果に責任を負わなければならなくなります。

何もしない=現状維持で誰もその選択に対して責任を負わず、あたかも自然な流れでそうなったかのようなことにはなりません。

選択肢と選択権がある幸せ

 私は住民投票ができることが羨ましい。選択肢があり選択権があることは民主主義にとっては重要なことであり、幸せなこと。議会や首長の選挙で争点は複数あり明確な選択肢が提示されないことも多いです。いわゆる「おまかせください」選挙です。

明確な選択肢が示されず、最終的な責任は「市民(国民)が選んだ結果」となってしまうのは納得ができない。現実は何も選ばず現状維持ベースで進んだ結果、にっちもさっちもいかなくなってやっと手を付けるのが多いので。

一番のネックは住民投票にお金がかかることかな。ネット投票が実現されるともっと住民投票の機会が増えて変わっていくのかもしれません。